自分のこと

枠を外したら、見えたこと

こんにちは!
WEBデザイナーのくしだあいこです。
今日はゆっくり、オフモード

娘に一緒に工作しようと誘われて、
折り紙?はさみで切る?→どっちもやる!

ひらめいて、ある本を引っ張り出した
「大人の切り紙のほん」

正に、折って切る ができる!

でもちょっと気になる「大人の」というワード。

年長の娘にできるのか。
本をパラパラめくる、、うーん!それなりの難易度★★★

ママー早く準備して!とせがまれ、いま作るモノを見てたんだよ〜と、本を見せると

作りたい!!!!と娘

いちばん簡単なモノから挑戦すると
これが意外とできる、、!

娘:紙を折る
わたし:切り取り線を書く
娘:はさみで切る

分担して、黙々と作業
それぞれ自分の役割に徹してるから互いに満足。こういうの見守ってるだけだと、つい要らぬ口出ししちゃうから、、笑

次はコレ、次はアレ!とあっという間に次々と。

こんなにたくさん!!!
仕上げのデコシールまで貼って楽しんでいました

と、ここで気がついた
冒頭迷っていた「大人の」というワード
子どもだって楽しめるじゃん!と

しかも、子どもたちは質を見きわめる目があると思っていて
子ども向けのものにも飛びつくけれど、一方で
大人が使ってるもの•やっていることにもかなり興味を示している
例えば、オモチャのお金よりホンモノのお金に興味を持つみたいな。我が家だけかな?

つまり何が言いたいかというと、

「大人の」っていう切り口に囚われない、制限されなくていい
自分がどうしたいかで決めていいっていうこと

言葉にすると、すごーくあたり前に思えてくるけど

わたしは無意識に、日常のあれこれ
意外とそこに左右されていることに気がついた

〇〇向け〇〇な人のための、とか
必要な人に届けやすくするための切り口のひとつであって、

そこに勝手に枠を作ってたのは自分だったなーと思いました

「大人の切り紙えほん」から子どもとの楽しい時間が持てたこと

なんてことない工作からの発見
大げさかもしれないけど、小さなことひとつとっても
ほんとうは自分の思っている以上に、わたしたちは
可能性や選択肢を持っているんだなっていうこと実感した出来事でした

最後までお読みいただき、ありがとうございます^^